日々のあれこれ

コロナ感染記録

悲しくも、コロナくじ当たりを引いてしまい陽性になってしまった。まだ自分に起こったこととは思えないんだけど、仕方ないこれが現実。せっかく貴重な経験をしたので、昨年のヨーロッパ行けなかった記と同様記録しておきます。記録する意味があるんかどうかは知らんけど。

ビビりながら過ごす日々

昨年、コロナが世界中に感染し出して異常な世の中になってから皆さんと同じように窮屈な生活をしていた。飛行機も新幹線も乗らない1年なんて久しぶりだ。外食もほぼなく、行ったとしても行くお店はかなり気をつけて選んでいた。人にも気軽に会わなかった。失礼な話かもしれないが、会う人も選んでいた。SNSを見ていると嫌でも人の生活が見えてしまう時代。関係なく旅行したり外出したりしている人もいたが、宗教が違うなということで片付けていた。会わなかったら済む話だ。どっちが正しいわけでも間違っているわけでもないので、無駄な分断だなあと思う。自分ではまあまあ気をつけていたとは思っている。受験に関わる仕事でもあるので、特に1月の中入試前はピリピリしていた。何年も頑張ってきた生徒さんたちが万が一自分のせいで受験できなくなったりしたらさすがにごめんなさいじゃ済まない。仕事先への交通手段として私は公共交通機関を使っているが、空いている経路を選んだりしていた。

恐怖の日々

0215/嫌な悪寒

2月15日の夜、いつものように生徒さんを指導していた。その日は朝からお客さんに会ったり打ち合わせをしたりでずっとバタバタしており、これで最後の授業、の時に変な感じが。「あ、風邪ひいたな」という感じ。ちなみにこの日は36.5℃の平熱。とにかく帰ろうと思い、授業後すぐに帰宅。駅で「あ、ノートPC職場に忘れちゃった」と気づいたが、早く帰りたかったのでまあ今度でいいやと帰ってしまった。さっさと帰ってあったかくして寝た。どうか熱が上がりませんようにと思いながら。

0216/念のため、指導をオンラインに

2月16日、この日は夕方から指導が2件あったが小学生はお休みに、学年末が近い中学生はオンライン指導に切り替えた。何かあったときのためにオンラインの体制を整えていて良かった。日中は自宅design Madoの仕事。家から出なくとも仕事ができる環境に感謝しつつ、じんわり熱が上がっていくのを感じていた。コロナだったら怖いのでしょっちゅう味覚と嗅覚の確認はしていた。

0217/38.3℃、一晩で下がる

2月16日の夜に1番熱が上がり、38.3℃だった。処方してもらっていたカロナールを飲んで、寝た。寝て起きて、2月17日の昼前には熱が抜けた感じ。午後からは平熱。嬉しいので何度も熱を測って平熱バンザイと思っていた。この日は塾に行く日だったが、大事をとってボスがお休みをくれた。ほんといい職場だ。誰もいないリビングでごろごろしながら撮り溜めていたお笑いなどを見て平和に過ごす。味覚と嗅覚のチェックも忘れずに。

0219-①/熱が下がったのでクリニック受診 

熱が出始めた2月16日の地点でクリニックを受診したかったのだが、発熱があると受診できない。受診しようと思って熱を測ったら37.1℃だった。惜しい。熱が下がったが、2月17日ごろから喉が痛くなり始めたので喉の薬をもらうため、クリニックに問い合わせて熱が下がっていることを伝えて受診。パルスオキシメーターを初めて使ったが、酸素量は99%と問題なし。お医者さんも「熱がカロナールで下がっているだけではないとは思うねんけど、検査も何もしていないので何とも言えない。」とのこと。喉のお薬はもらった。味覚嗅覚はこの日もバッチリだ。餃子が美味しい。

0219-②/不穏な知らせ

知っている人で、最近会った人(一応ぼやかしときます)から連絡があり、コロナにかかってしまったと。マジですか。私とその方はお互いマスクしてそれぞれ前を向いている状態(向かい合っていない)・直接身体が触れることはなし・一緒の部屋(6帖ほどの部屋)にいたのは1時間半程度という状態だった。私は濃厚接触者にはあたらないようで、連絡をくださった方に「くれぐれもお大事に」とお伝えしつつ、念のためこの日の指導は中止した。

0219-③/声がつぶれる

金曜の夕方ごろから突然声がおかしくなった。喉の痛み+声が出ない。なんじゃこれは。電話をくれた方がいて、あまりに違う声(というか出ない)に驚いていた。私も驚いている。

0221/そして、嗅覚がなくなる

声は相変わらずつぶれたままだったが、それ以外は熱もなく体調も悪くないので引っ越ししたての妹の家の片づけを手伝ったり、翌日から塾にも戻る予定でボスとLINEしたりしていた。ちょっと早めにお風呂に入ろうとお風呂に入り、週に2回だけご褒美に使っているちょっといいシャンプーを使っている時にまったく香りがないことに気づいた。あれ?こんなに無香料だったか?いや、違う…と思いながら、自分に起こったことを受け入れられず浴槽で震えていた。同居している両親に嗅覚がないことを伝え、ボスにもLINE。すぐにコロナ相談センターに電話したが、私の症状だとPCR検査は受けられないとのこと。もう少し様子を見てまた何かあったら連絡を、という感じだった。でもこれ、絶対アウトやんなと思いクリニックに連絡。明日対応することを伝えられ、震えながら眠る。

0222-①/PCR検査へ

クリニックのお医者さんから朝一で連絡があり、PCRに回してもらうようお願いしたので2,3日で受けられるとのこと。安心していたら11時頃電話があり、その日の午後にPCRを受けに来てくださいと言われた。2ヶ所選べたが自宅から近いところを選ぶ。タクシーを使うのも怖かったので自転車を漕いで行った。熱がなかったので全然いけたが、これ熱があったら難しかったかもしれない。

0222-②/野ざらしの検査場

検査場は非公開らしく、入口のようなところに案内の人が立っていて、検査ですというと中に入れてもらえた。自転車でそのまま検査場まで入っていけた。検査場と言っても屋根も何もない完全に野ざらしのところで、下には黒いビニールのようなものが敷かれていた。かなり広い。学校の教室2,3部屋分はあるのでは。もっとあるかな。長机が1つだけ置いてあり、防護服の人が3名ほど座っていた。名前を伝えたが、おそらくイレギュラーでリストに入れてもらった感じで防護服の人のもっている名簿に私の名前がなかった。奥のプレハブ小屋から出てきたスーツの人(なんか偉い人?)がどこかに電話して確認してくれ、いよいよ検査。名前を伝え、身分証明書の提示を求められるが私が手に持って見せるだけで防護服の人がそれを持つことはない。そらそうだよなあ、と思いつつも少し寂しい。名前の確認が終わると、試験管を渡される。検査場の端には間仕切りが10近くあり、壁に向いてそれぞれ椅子が1脚ずつ置いてある。壁になんか貼ってあるなあとは思っていたのだが、近くに行ってみるとA4の用紙が2種類貼ってあり、梅干しとレモンの写真がかいてあった。その上に「酸っぱい梅干し」「酸っぱいレモン」とPOP体で書いてあり、それが各ブースに貼ってあった。受付から見ると全部のブースが見えるので、梅干しとレモンの写真が並びまくっている。これはちょっと面白かった。コロナ関連で唯一笑ってしまったことだ。検査は唾液で、まあまあの量を出さないといけなかったので梅干しとレモンなんだと思う。幸い私は必死にならなくても言われた線が引いてあるところまで問題なく唾液を出せたので蓋をしめてそれを防護服の人に渡した。それで検査は終わり。時間にすると10分にも満たなかった。また黒いシートの上を通って検査場を出て(出て、と言っても別に扉があるわけでもない)自転車で家に帰った。この日のことはあまり覚えていないが、部屋にこもって不安と闘っていたと思う。

0223-①/陽性

夜寝れなかったこともあり、ゆっくり寝ていたら着信が。検査の結果だ。陽性だったらしい。やっぱりな、という思いと言いようがない不安と。陽性を伝える電話では自宅療養かホテル療養かどうしますかと尋ねられた。ホテルに行くのも嫌だったので自宅療養を選ぶ。食料は2,3日中に置き配で届くらしい。あと、別便でパルスオキシメーターも届くらしい。毎日健康観察の電話をしますと。そんな話だったと思う。その後、また別の電話で疫学調査の連絡がありますと伝えられた。電話を切って、家族や仕事関係者にはLINEで伝え、部屋で泣いた。

0223-②/疫学調査

その日の午後、疫学調査の電話。幸いやましい行動履歴がまったくなかった(2月前半、仕事が本当に忙しかったので家族と仕事関係者以外に会っていなかった)ので自分の行動についてはペラペラ喋れたが、何回か「人の集まる飲食店などには行っていませんか」「大勢で集まって食事をしたとかないですか」とか言ってもないのに聞かれたのでイライラした。聞く気持ちもわからなくもないが、こっちは体調がよくないのだ。熱こそないが、別に万全じゃない。それに、陽性と言われてメンタルがかなりやられていた。後から書くが、いろいろな人に「この度陽性になりまして、ご迷惑をお掛けして…」という連絡を立て続けにすることでガリガリメンタルが削られていくのが自分でわかった。それにこの疫学調査の時間は結構長い。40分ぐらいかかった。体調が悪く、メンタル絶不調の中40分もコロナの話をしないといけない。地味にしんどいことだった。疫学調査では、行動履歴から濃厚接触者を認定しその人たちの連絡先を伝えるというもの。もちろん勝手に伝えることもできないので、いったん電話を切って連絡先を伝えてよいか色々な人に確認し、また保健所にそれを伝える…という流れ。これとは別個でこの少し前に各自と同じようなやり取りをしているのでちょっともう勘弁してくれって感じだった。

0224/TVerとGYAO!を見まくる

メンタルはボロボロのままだが、部屋からも出られないしたまたまノートPCを仕事場に置いてきたので部屋で仕事もできない。iPhoneでお笑いを見まくっていた。お笑いに助けられた日々、芸人さんリスペクトの気持ちがさらに高まった。動画見てちょっと寝て、また起きて動画見てという感じ。まとまった時間は寝られなかった。数時間起きて数時間眠るの繰り返し。声はちょっとずつマシになってきているが、まだガラガラ。

また、陽性の連絡があった時に伝えられていたいろいろな荷物が置き配で届いた。パルスオキシメーターに食料品。食料品は1人分なのに十分すぎる量だった。種類も豊富で、ありがたい。

0225-①/周りの濃厚接触者が次々PCRに

家族含め、私のせいで濃厚接触者になってしまった人たちが次々とPCRを受けたようだ。人によってさまざまで、自宅にキットが届きそれを持って行く人、検査場に行く人など。検査方法が選べるのか、指定されるのかまでは聞いていないのでわからないが、とにかく周りが誰も感染していないことを祈るしかなく、この日もTVerとGYAO!を見て過ごす。

0226-①/両親陽性、父は入院

ほんとに最悪な事態になってしまった。両親がともに陽性だった。父は前日から38.2℃の発熱があり、母も微熱。私の時と同じように午前中に保健所から検査結果を伝える電話があり、父は高齢で持病ありなので入院を勧められ入院させてもらうことにした。言い方はアレだけど、不幸中の幸いで感染した時期がラッキーだった。グラフを見ても、感染者がぐっと下がっている時だったので(そんなときになぜ私が…という思いはあったけどそれはさておき)父もすぐ入院ができた。ちょっとズレていたらこうはいかなかったと思う。

コロナ感染者数の推移

最初の電話では「2,3日で入院先を探して連絡します」とのことだったが、2時間後ぐらいに「用意ができました」と連絡があり、夕方には入院していった。バタバタと決まったので着替えとかそういうものを鞄に詰めただけだった。救急車が迎えに来たが、防護服の人が救急車から出てきたのでギョッとした。そらそうなのだが、これ丸わかりやんと思った。私も母も陽性なので玄関までしか見送りができなかったためベランダから救急車に乗り込む父を見送った。父は熱はあるもののこの時は元気だったので自分で荷物をもって自分の足で歩いて行った。私は謝るばかりだったが「ちょっと言ってくるわ~」みたいな感じだった。本当に。

0226-②/そして私は解除&嗅覚カムバック

親が陽性でバタバタする中、私は10日間の隔離期間が終了した。陽性になったのは23日だが、発熱した16日を発症日とするらしい。こんなんなんぼでも言えるよな…と思ったが、とにかく私の隔離期間は終了した。パルスオキシメーターは引き続き隔離中の母が使ってくださいとのことだ。再検査も何もないまま、私は無罪放免となった。濃厚接触者は14日なのに陽性者はなぜ10日?と思ったが、感染して4日で発症という計算になるらしいので10日の隔離期間は計算上合っているらしい。濃厚接触者からブツブツ言われたが、申し訳ない気持ちはあるものの私にそれ言われても知らんがなって感じだった。

いいこともあった。夜、にんにくのパスタを食べたらにんにくの香ばしい香りが!嗅覚が復活していた。これは嬉しい。いいことなど一つもなかった数日間だが、これは本当に嬉しいことだった。

0227/被害者は両親だけだった模様

まわりの濃厚接触者の人たちが皆陰性だったことがわかりホッとする。きょうだい、甥姪、そして仕事関係の人たちは皆陰性だった。父からは昼間電話があり、熱が上がったり下がったりだが薬を飲んだら下がるそう。声は元気。3人部屋に1人で暇を持て余しているそう。テレビが民放しか映らないと文句を言うぐらいだったから、体調は悪くなかったんだと思う。

0301/人工呼吸器?

父の入院先より電話があり、容態がよくないらしい。本人に自覚はないが、酸素の取り込みが悪いとのこと。このまま悪くなると転院や、人工呼吸器を装着する可能性があるそうで家族でそれについて予め話し合っておいてほしいと言われた。母もきょうだいも全員一致でお任せするしかないよねと一瞬でまとまり、お医者さんに伝える。この日から、夜電話がかかってきたらどうしようと私は眠れなくなった。離れた部屋で、きっと母もそうだったと思う。

0302/おつかいで病院に

父が老眼鏡を忘れて困っているそうなので、老眼鏡を届けに入院先の病院へ行った。1階まで看護師さんが荷物を取りに来て下さるシステム。「どうですか?」と聞いてみたがあまり歯切れのよくないお返事。良くないのかな…と心配になりながら帰る。ちなみに、父はスマホをサイレントにしてしまったらしく解除の方法がわからなかったみたいで、私たちからの電話にはほとんど気付かないようだった。

0303/真夜中の電話、父重症者

夜中、どうせ眠れないので長電話につきあってもらっていてそれも終了した朝の4時前に電話。正確に言うと母が誰かと話している声が聞こえた。そして、それが転院する電話であることもわかった。どうしよう、そこからは朝まで眠れなかった。

朝になり、改めて病院から電話がある。父は重症化し、ICUに入ったらしい。

・面会はリモートのみ、平日17時までで予約制。事前に候補日いくつか伝えたら調整して決定。
・面会は15分で2人まで。時間内の人員交代なし。1回の面会をしたら次回の面会は3週間ほどあけてほしい。
・手紙や写真など随時お預かりして本人に渡せる。ただし、コロナ患者なので渡したものは返却不可。荷物はダメ。
・感染者が面会するときは隔離解除かつ陰性証明が必要。

まだ普通に会話ができているらしいが、コロナは感染してから10日目から12日目ぐらいに一気に悪くなるらしい。今日がその10日目なので、この数日が勝負だということを告げられた。今のところは5分5分で、薬も投与できない(持病があるから)ので本人の頑張りによる、と。最悪だ。

0304/母、PCR再検査へ

母も職場復帰に陰性証明が必要と言われたため、再検査をする予定でいたが、隔離解除後は陽性反応が出ることも多いらしいので、少し時間を空けて週明けぐらいにと考えていた。が、父が危ないようなので母だけでも面会に行った方がいいのではという妹たちの勧めでPCRを受けることに。再PCRは義務ではないので自費。厚生労働省のウェブサイトに自費検査を受けられる検査機関一覧が載っていると保健所の方に聞いていたので、そこから行けそうなところを探す。元来元気な母も今回のことにはメンタルがやられてちょっとしょんぼりしていたが、自転車で行ってくるわーと持ち前の元気っぷりを発揮して約4km先の病院にチャリで行って検査を受けてきた。さすがだなと思った。

また、この日職場のボスが近所までノートPCをもってわざわざ来て下さった。本当にありがたい。久しぶりにお顔を見て「生きてる~~」と言われた。よかったよかった。

今回母と引きこもりまくっていたので、Uber Eatsにかなりお世話になった。この日もUber祭り。検査帰りの母もビールを飲む元気が出てきたらしい。どうせ心配で夜は眠れないのだから、ごはんぐらい楽しく食べようと思った。

0305/甥と姪がじいじにお手紙

私たちの手紙を読んでもそんなに喜ばないだろうが、孫からの手紙はうれしいだろうということで甥と姪がせっせとお手紙を書いていたようだ。姪(6歳)は「いろいろあるかもしれへんけどがんばって」とちょっと他人事のようなメッセージ、甥(3歳)は「じいじといっしょにやきいも食べたい」とポエムを読んでいた。

0306/まさかの再陽性と吉報

2日前に再検査を受けた母の検査結果が出た。まさかの再陽性。さすがに落ち込んでいた。そらそうだ。また隔離の日々なのか?と悶々としていたら検査を受けた病院から電話。話があるそうで、病院に呼ばれたらしい。落ち込んいるが元気な母はまた約4km先の病院にチャリで出かけて行った。

落ち込んででかけた母は元気よく帰宅した。検査をしてくれた先生が、感染症センターの文献をプリントアウトして用意してくれていたそうで、再陽性はよくあること、また人にうつす可能性もほぼ0なことなど伝えて下さり、あとは職場の判断だが基本的に保健所から連絡があって再隔離ということもない(人にうつす可能性がほぼないから)そうだ。陰性証明はないため(だって陽性)父には面会はできないが、母は元気そうだった。メンタルって大事。

末っ子が末っ子夫と一緒に父の病院に孫たちからの写真とメッセージを届けに行ってくれた。看護師さんの話によると持ち直しているらしい。このままいけば明日にでも一般病棟に移れるかも、とのことでどうやら最悪の事態は逃れたようだ。夜は母と乾杯した。母はベロベロになっていた。

0307/社会復帰はまだまだ

26日に隔離解除になり、保健所からは「解除証明書」も届いているがインフルとは違いビビられる病気なので全然外に行く系仕事が再開できない。「大事をとってもうしばらくお休み」わからなくもないが、地味につらい。自営なので、休んだ分の収入がない。会社員っていいなとこの時は思った。ないものねだりだ。身体はほぼ元気なので、昨年の緊急事態宣言の時にやり残していた部屋の断捨離の続きをやった。物を捨てるって気持ちがいい。

0308/父、ICU脱出

お昼ごろ、父から電話があった。ICUを出て一般病棟にうつったそうで、携帯が使えるようになったらしい。ずっと寝ていたので体力がなくて歩けないと言っていたが声は元気そうだった。明日からリハビリらしい。母も嬉しそうだ。私も嬉しい。家族LINEも久々にいいムード。

0309/父、中等症の病院へ戻る

午前中リハビリをしたらしいが、午後にはもう最初に入院した中等症の病院に転院したそうで、あとはここで回復を待つらしい。もうコロナでどうこういうことはないそうだが、体力回復の必要があるそうだ。父曰くめちゃくちゃ痩せたらしい。

0313/久しぶりにうちに人が来る

姪が卒園式で、朝美容院に着付けを見に行った。晴れやかな気持ちで卒園式を迎えられてよかった。袴姿の姪は本当にかわいらしくてみんなでかわいいねえと言い合った。家族LINEで写真を送っているが、おそらく父は見れていないっぽい。何のためのスマホや。まあいいけど。夜は久しぶりに妹家族がうちにきた。皆で姪のお祝い。母と2人コロナの館になってからしーんとしていた我が家に久しぶりににぎわいが。母は今日もご機嫌に酔っている。普段は人がたくさんで賑やかな家なので、元に戻ってうれしい。

0315/社会復帰

私はこの日から本格的に外での仕事が再開。実に1ヶ月ぶり。久しぶりの教室や、生徒さんの顔が懐かしい。普通に授業をするのがこんなに楽しいなんて。仕事ができるありがたみを感じる。

0320/父、退院

父が退院してきた。約3週間の入院。聞いてた通りめちゃくちゃ痩せていた。10kg痩せたらしい。167cmで47kg。ガリガリだ。声に元気がない。が、帰ってきた。退院前のPCRは陽性だったらしい。神経質な父は病院での眠りが浅かったらしく、家のベッドはよく眠れると嬉しそうにぐーぐー寝ていた。

0402/父、とうとう陰性に

入院患者は2回PCRを受けないといけないらしく、退院後のPCR。まだ外出するには不安なので自宅で唾液を採取して試験管を母が持って行った。翌日連絡があり、陰性だったらしい。
病は気から、というが陰性が出て父も安心したのかこの日からまたビールを飲み始めた。食欲もだいぶ出てきているみたいだ。

コロナ後

わたしと母のその後

母はあまり後遺症らしいものもなく、普段通り元気に活動をしている。軽症だったからかもしれない。
私はというとしばらく息を吸うのがスムーズではなかった。あと、何でもない動きなのに息が上がるということが度々あった(掃除機をかける、とか駅まで歩く、とかそんな普通のこと)。が、これも徐々にましになってきていて、4月に入ってからはほとんど気にならなくなった。

父の入院話

ちょっと元気になってきた父がICUでの話を少しずつしてくれるようになった。本当に最初は自覚症状がなく、転院する前もちょっと息苦しいぐらいでなぜ転院?という感じだったらしい。が、ICUに入ってから地獄だったそう。目に見えて悪くなり、死ぬなと思ったらしい。普通にしていても息が吸えず、やばいと感じたそう。でも、ICUの中では1番軽症だったそうで周りの声や様子はもっと深刻だったとのこと。お医者様からは人口呼吸器を入れる話が何度もあったらしいが、絶対嫌だったらしく無視していたらしい(無視…)。結果的に良かったのだが、ナイス判断だった。「もう明日入れますよ!」と言われた夜に持ち直したそうで、自分でも助かったという感覚があったらしい。生命力なのか、何なのか。とにかくよかった。

父のその後

まだ家からは一歩も出ていない。日によって元気だったりそうでなかったりする。食事や睡眠はきちんと摂れている。退院してしばらくは声に元気がなかったが、最近はそうでもない。結構食べているが体重は一向に増えないらしい。分けてあげたいぐらいだ。今の状況を見ると、父は感染した時期が本当にラッキーだった(そもそも感染しないのが1番良かったが)。入院もすんなりできたし、転院などの手続きもスムーズだった。これが1ヶ月ずれていたらこうはいかなかったと思う。

市の対応(大阪市)

大阪市の対応は、失礼な言い方だが思ったよりちゃんとしていた。というか、濃厚接触者および陽性者にはものすごくちゃんとしていた。検査にたどり着くまではなかなかだったが、そこからの対応は素晴らしかった。1人1人にあんなにきちんと疫学調査をしてくださり、食べ物もすぐに手配して下さり、毎日健康観察の電話。陽性者が少ない時期だったとはいえ、同時進行で何百人かは同じような方がいらっしゃるのに土日も関係なく頭が下がる思いだった。繰り返しになるが、時期が良かったのもある。今の状況が同じだとは思えない。

経済面について

検査、入院費などは全て公費と言われ、私たちのPCR検査代は請求されなかった。父の入院費も備品代(寝具など)のみ。また、私も母も自宅隔離は入院期間と見なされるそうで、医療保険も入院のものが適用されるらしい。私は自営になったことで入院保険は手厚めにしていたことから、休業分の全額までは行かないが少し補填されたのでまだ助かった。去年の緊急事態宣言の時に時間ができたので携帯の料金見直しや保険の見直しなどいろいろやっておいてよかった。

感想

シンプルに最悪だった。青信号で歩いていたのに事故に遭った気分。
自分の症状がさほどひどくなかったので言えることかもしれないが、コロナに罹ってしまったダメージよりそれに伴って起こるさまざまなできごとの方がずっと嫌だった。だいたい病気になって謝るのも変な話だし、気を遣わないといけないのも辛かった。私も1人の社会人なので、仕事に穴をあけそれはもちろん「申し訳ないこと」なのだが、「感染してしまってすみません」と言い続けるのってほんとメンタルがやられることだった。
もちろん、感染してしまったことで9割の人は「大変やね、お大事に」だったが、1割の「ん?」という対応が引っかかっている。別に近所の人から引っ越せとか張り紙などされたわけではないが、これはちょっと地域コミュニティが密な地域だと大変なんだろうなというのは想像に難くない。まあどんな状況でも言う人は言うのでどうしようもないが、ほんまそっとしといたってという感じだ。これは知人が話していてそうだなと思ったのだが、コロナ騒ぎは東日本大震災の時の原発の話と構図が似ているなと思う。もちろん全然違う話なのは百も承知なのだが、確かな情報がない中恐怖心が煽られ、煽られた人があることないこと言うことで福島の人は傷ついたと思う。
あらゆることに言えると思うけど、絶対大丈夫なんてことはないんだから、他者への思いやりとか想像力を持って生きていきたいわと改めて思った。

おわり。長かった。